2010年9月22日水曜日

詩と「あげひばり」

日は更新出来ないと思いますので、今夜の家に明日の分を更新しておきます。(何て律儀な!)

 以前、田舎育ちではないのに、幼い頃、春うらら田舎道を歩いている心象風景が残っていると申し上げました。先日ふと、それは小学校、中学校の頃に読んだ詩の影響なのではないかと思い至りました。

 特に好きだったのは中原中也です。

 例えば、「雲雀」と言う詩。

・・・ 
碧い 碧い空の中
ぐるぐるぐると 潜り込み
ピーチクチクと啼きますは
あゝ 雲の子だ、雲雀奴だ

歩いてゆくのは菜の花畑
地平の方へ、地平の方へ
歩いてゆくのはあの山この山
あーをい あーをい空の下
・・・


或いはまた、「一つのメルヘン」 

秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。


そして、「六月の雨」

またひとしきり 午前の雨が
菖蒲の色の みどりいろ
眼うるめる 面長き女
たちあらわれて 消えてゆく

・・・

お太鼓叩いて 笛吹いて
遊んでいれば 雨が降る
櫺子の外に 雨が降る


「櫺子(れんじ)」と言う言葉はこの詩で覚えました。京都の町家などに見られる、一定の間隔で縦に角材などが入った窓のことです。もちろん私の家にはそんなものはないのですが、梅雨時になると、櫺子を通して窓の外を見ている心象風景が浮かんでまいります。多分この詩の影響です。

 今では英詩は読みますが、日本の詩は殆ど読むことがありません。でも、そうやって幼い頃に読んだ詩が今でも記憶の何処かに残っていて、ふとしたきっかけで心象風景として甦ってきます。それに、特に覚えておこうとしている訳でもないのに、結構、暗唱しています。不思議なものです。

 と言う訳で、ヴォーン・ウィリアムス「あげひばり」を聴くことに致します。英国の田園風景が脳裏に浮かんで参ります。

' A Portrait' からハーンのインタヴューと演奏風景を貼っておきます。


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