2011年12月21日水曜日

「かきあげ蕎麦」と「豆大福」と「わたしを離さないで」そしてショスタコーヴィッチ「ヴァイオリン協奏曲」

日の昼食はセブンイレブンの「掻き揚げ蕎麦」でした。


でも、バタバタしていお写真を撮るのを忘れ、食べ始めてから気付きました。喉飴も買っておきました。ここに「豆大福」が存在するのは(今はすでに消滅しておりますが)偏に私の人間としての弱さの故です。今日もお仕事が立て込んでブログの更新もこんな時間になって仕舞いました。

先日、授業のDVD作戦でカズオ・イシグロ原作の「わたしを離さないで」を観たことをご報告致しましたが、今日は少しこの作品のお話しを致します。


この映画は臓器提供のために作られたクローンを扱っています。ヘールシャムと言う隔離された学校で育つキャシー・Hとその友人トミー、ルースの3人を中心に物語は展開しています。ヘールシャムを出て、まずルースが臓器提供をして亡くなり、キャシーと愛し合っているトミーも亡くなります。最後に残ったキャシーに臓器提供の通知が来るところで物語は終わります。
この作品は臓器提供をするために生み出されたクローンを主人公にしていますが、それは必ずしもそのような特殊な状況を主題としている訳ではありません。キャシーは最後に、自分たちと臓器の提供を受ける人たちの何処が違うのかと問いかけますが、この作品の主眼はまさにそこにあります。彼女たちは20数年で人生を閉じなければなりませんが、長さの違いはあれ、私たちも必ず命を終える日が来ます。カズオ・イシグロがこのような特殊な状況を設定して私たちに考えさせようとしているのは、必ず終焉を迎える私たちの人生の意味なのだと思います。私たちも必ず人生を終えるときが来ます、その時私たちは人生とは一体何だったのかと考えるのでしょうか?
カズオ・イシグロの小説は必ず失われたもの、或いは、失われようとするものが描かれています。全てのものは失われる。そしてその後に残るの唯一のものは失われたものの思い出です。私たちは今と言う一瞬に生きていますが、その一瞬には過去の思い出が溶け込んでいます。カズオ・イシグロの作品を読んでいると、人生とは思い出だ、或いは、人生とは思い出を積み上げることだと言っているように感じます。

先日注文した4枚のDVD・CDのうち既に届いたのが2枚、それから本日「ショパン・・・」を発送したとのメールがあったので、残るはあと1枚、ヒラリーハーン「ショスタコーヴィッチ・ヴァイオリン協奏曲第1番」のみとなりましたがちょっと心配です。これまでも、発送が遅くなる場合、よく品切れで入手出来ない場合がありました。大丈夫か知らん?楽しみにしているのに!

本日の音楽はヒラリー・ハーンで「ショスタコーヴィッチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」に致しました。


本日はレーピンの演奏を貼っておきます。







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