2011年12月10日土曜日

「ロースカツサンド」と「シュークリーム」と「時代と芸術」そしてブラームス「ヴァイオリンソナタ」

日の昼食は「ロースカツサンド」です。


それから土曜日なので1週間のお仕事のご褒美に「シュークリーム」を買ってあげました。(?)

 さて、本日の特集(?)は「時代と芸術」です。20世紀初頭の批評家 T.E. ヒュームは 'Speculations: Essays on Humanism and the Philosophy of Art' の中で面白いことを言っています。


それぞれの時代にはその時代の核となるような価値観があり(それをヒュームは「カテゴリー」と名付けます)、それによって芸術の有り様は変わって来ると言っています。例えば、中世においては信仰こそが価値観の核となり、芸術は人間的な移ろいやすいものではなく、絶対性・普遍性を求め、それ故幾何的な絵画が描かれるが、ルネサンスになると、その価値観の核は、中世の原罪説に対し、肉体も含め人間を様々な可能性を持った素晴らしい存在だと捉える 'Humanism' (人間中心主義)となり、芸術も人間の肉体美を讃えるような絵画が生まれると言っています。
また、19世紀末の文学者・批評家であるマシュー・アーノルド'Culture and Anarchy' (「教養と無秩序」)の中で、ヨーロッパにはその根幹に相反する思想の二つの流れがあると言っています。それは「ヘブルーイズム」と「ヘレニズム」です。「ヘブルーイズム」 とは禁欲的なキリスト教思想であり、「ヘレニズム」とはギリシャの享楽的な思想です。時代よって「ヘブルーイズム」と「ヘレニズム」が強くなったり弱くなったりして、それによりその時代の文化は変わって来ると言うのです。中世は「ヘブルーイズム」の強い時代、そしてルネサンスは「ヘレニズム」の強い時代だと言うことが出来ます。
 例えば、中世のビザンティン様式のモザイク画などを見ると、人間の肉体性を剥奪した幾何的な描き方になっています。


それに対して先日も取り上げたルネッサンスの画家ラファエロなどになると、宗教画であるにも関わらず、肉体性を備えた絵になります。


ルネサンスの典型的な絵として有名なボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」を見てみましょう。(クリックして拡大して下さい。)


ギリシャ神話を題材に取りながらも、人間の肉体の美を表現しています。もちろん中世では女性のヌードを描くなどと言うことはあり得ませんでした。この時代でも矢張りボッティチェリの絵は異端的と考えられ、彼の絵の多くは焼かれてしまいました。しかし、彼はメディチ家と親交が厚かっため、その権力のお陰でこの絵も残ったと言われています。左側の翼を持ったキャラクターは西風ゼピュロスですが、私はもしかしたら、翼を持つゼピュロスに天使ガブリエルを重ね合わせ、ヴィーナスに聖母マリアの姿を重ね合わせた「受胎告知」なのではないかと考えています。(こんなことを言うと美術史の先生に怒られるかも知れません。)もちろんこの時代でも、受胎告知の聖母マリアをヌードにするなどと言うのは完全な冒涜であり、とうてい許容されるものではなかった筈です。それをギリシャ神話に偽装することによって聖母マリアに肉体性・セクシュアリティーを持たせたのではないかと思って仕舞うのです。
 20世紀になると絵画もまたがらりと変わりますが、絵画のみならず文学やその他の諸芸術も変化します。それは、ヒュームの言うように、カテゴリーが転換したからに他なりません。

 話は変わりますが、美浜原発2号機の冷却水漏れに続きまた玄海原発で事故があったようです。点検中の3号機から一次冷却水が1.3トン漏れたと言うことです。しかも九電はそれを報告していなかったそうです。一次冷却水は核燃料を直接冷やす冷却系の水ですから、当然汚染レベルも高く、それが1.3トンも漏れたのですから、決して些細な事故ではありません。それに、今どうなっているのかは分かりませんけれど、核燃料を冷やす水が漏れたのですから冷却そのものにも支障が出たはずです。先日来の不祥事がありながら、まだ隠蔽しようとする体質はどうしようもありませんね。このような会社に危険な原発の管理を任せておくことは出来ません。

 本日のお昼の音楽はまたブラームス「ヴァイオリンソナタ」です。


本日は第2番第2楽章(ヴィヴァーチェ)を貼っておきます。

0 件のコメント: