2011年1月11日火曜日

島田雅彦「彗星の住人」と「メロディー」「ヴォカリーズ」

日の昼食は「チーズフォンデュフランス」と、新製品の「蒸しケーキ・レモンチーズ」です。

デザートは「苺」です。苺はやっぱり美味しい!

 先日、島田雅彦「彗星の住人」を読み返す機会がございましたので、少しこの小説についてお話ししようと思います。

この小説は無限カノン三部作のⅠです。Ⅱは「美しい魂」、Ⅲは「エトロフの恋」です。「無限カノン」はバッハがフリードリヒ大王に捧げた「音楽の捧げもの」におさめられた1曲です。 この曲は3声で最上部はフリードリヒから与えられた「王の主題」、2声は第2の主題に基づく和音を形成します。低い方はハ短調でこれが全体の主調となります。高い方は同じ主題でそれより5度上になります。ところが、曲の終わりは、途中で転調されニ短調になっています。これを6回繰り返すと、元のハ短調に戻ります。こうしてこの曲は無限に続くことになります。無限に上昇するカノンなのです。余白には「転調が高まるとともに、王の栄光も高まり行かんことを」と記されています。
 主人公は薫。物語は、失踪した薫の消息を求めて、薫の娘、椿文緒がアメリカから東京にある薫の育った家を訪れるところから始まります。そこで文緒は、薫の義理の妹である盲目の女性アンジュから薫に纏わる物語を聞くことになります。この物語は、謂わば、盲目の語り部アンジュから、薫の娘文緒に語り継がれる口承の歴史とでも言うべきものです。それはまた抑圧された歴史の伝承でもあり、明治から現代に至る歴史を「恋愛」と言う観点から読み替えたものと言うことも出来ます。
 また、この小説には様々な先行する文学作品などが下敷きになっています。「蝶々夫人」、「源氏物語」、三島由紀夫「豊穣の海」、エミリー・ブロンテ「嵐が丘」などです。
 詳しい話は出来ませんが、アメリカと言う権力に弄ばれた蝶々夫人、その息子であり、後にピンカートンに引き取られアメリカにわたり、戦中、日本とアメリカとの狭間にタタされる、ベンジャミン・インカートン・ジニア(JB)、さらに、マッカーサーの愛人である女優松原妙子(原節子をモデルにしている。)に恋をする、その息子の野田蔵人、そしてその息子の薫。いずれも権力に反抗し抑圧された弱気者たちの歴史が語られて行きます。その一方で、天皇家に関する言及が屡々なされますが、それは、決して犯されることのない絶対的な権威としての歴史であり、その歴史と、謂わば、対位法的に抑圧された者たちの歴史が対置されます。まさにバッハの技法を模した構造になっています。薫は皇太子と同年同日に生まれたことになっていますが、これも意味のないことではありません。薫は一人の女性麻川不二子に恋をします。その物語の詳細は次の「美しい魂」に描かれることになりますが、麻川不二子は皇太子に見初められやがて求婚を受け入れざるを得なくなります。しかし、薫は彼女を諦めることは出来ません。麻川不二子は明らかに小和田雅子さんをモデルにしています。
 薫の名は明らかに源氏物語の薫から取られています。源氏物語は或る意味世界的に見ても希有な文学だと言えるのかも知れません。ヨーロッパの文学史を見ても女性の作家が登場するのはほぼ近代になってからです。英国の場合も女性作家が初めて登場するのは18世紀です。平安時代、日本は女房と言う教養のある特殊な階層があり、また、この時代に平仮名が出来たと言うことも重なり、独特の女性による文学が登場しました。源氏物語はもちろんフィクションではありますが、当時の女性たちの生活を描き出し、また、男たちによる権力闘争史としての歴史を、恋愛と言う観点から読み替えたもう一つの歴史だと言うことも出来ます。
 無限カノン三部作ももちろんフィクションですが、権力側から見た歴史を抑圧された弱者の視点から読み替える可能性を示唆しています。それだけでもとても興味深い小説だと思います。

 本日のお昼の音楽は諏訪内晶子さんの「メロディー」を聴いています。

このアルバムに収められている、チャイコフスキー「懐かしい土地の思い出」から「メロディー」をレーピンのえんそうで、それから私の十八番のラフマニノフ「ヴォカリーズ」をパールマンの演奏で貼っておきます。




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