2010年8月18日水曜日

「お好み焼き」「シューマンの指」そしてシューマン「幻想曲」

日の昼食は久しぶりに「お好み焼き」を戴きました。

余りに暑いので、スターバックスで「マンゴーフラペチーノ」を買って仕舞いました。冷たくて美味しかったです。

 昨夜、寝る前に少し読もうと思って、奥泉光の「シューマンの指」を読み始めたところ、止められなくなり最後まで読んで仕舞いました。悪い癖です。

この小説の基本構造は「ノヴァーリスの引用」に似ています。

「ノヴァーリスの引用」は語り手の回想と言う形式を取っていますが、記憶の曖昧性やや思い込みなどにより、事実が意図的にぼかされており、「事実とは何か」と言う問題自体がテーマの一つとなっています。その意味で、笠井潔の小説と同様、反探偵小説にもなっています。
 「シューマンの指」も里橋と言う人物が過去を回想して書く手記がその大半を占め、事実の客観性が歪められる構造になっています。ご存じの通り、シューマンは若かりし頃、ハインリヒ・ドルンに指示しピアニストを目指しますが、指を痛め演奏家としてのキャリアを断念して、音楽評論家、作曲家となる決心をします。「シューマンの指」と言うタイトルは、もちろんこの事実と深く関連しています。この小説には、例えば、音楽の実体とは一体何なのかと言う問いかけがあります。音楽とはパフォーマンスなのか、それとももっと観念的なものなのか?この小説には「演奏をしなくとも音楽はすでにある。」と言うフレーズが繰り返し現れます。
 また、この小説ではシューマンの音楽についての解釈(アナリゼ)が詳細に論じられ、更にそれと関わって、シューマンが狂気に陥った理由も暗示されます。このシューマンの解釈も中々面白く読みました。もちろん、作者自身の解釈がどの程度反映されているのかは分かりません。巻末の参考文献にはシューマンに関する文献が9冊ほど挙げてあります。何冊か読んでみようと思います。
 ミステリーなので余り書いて、種明かしをして仕舞う訳には参りませんので、この辺りにしておきますが、特にクラシック音楽のお好きな方ならきっと面白く読める小説だと思います。

 本日のお昼の音楽はこの小説の中でも重要な役を演ずるシューマン「幻想曲ハ長調」を聴きました。

一部をアルゲリッチの演奏で貼っておきます。


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