2011年2月8日火曜日

「ゲーデル不完全性定理」とギル・シャハムのパルティータ2番

日の昼食は「焼きそば」に致しました。

デザートは「いちご大福」「苺」です。何やら苺づくしになりました。

 しなくてはならないお仕事が沢山ありますのに、眠くてなかなか捗りません。濃いコーヒーでも淹れて戴くことに致します。ちょっと気分転換でブログデザインを変えてみました。

 先日買った「数学ガール」のテーマはゲーデルの不完全性定理ですが、私はかねてよりこの問題には並々ならぬ関心があります。以前にも書いたことがありますが、学生の頃にダグラス・ホフスタッターの「ゲーデル、エッシャー、バッハ ー あるいは不思議の環」と言う本を読んで、とても興味を抱きました。これまで読んだ本の中でも最も面白かった本のひとつです。ここでは詳細に説明する余裕はございませんが、ゲーデルの不完全性定理は言葉の論理の問題とも繋がっているからです。例えば、安部公房は「人間そっくり」において、明らかにゲーデル的なテーマを展開しておりますし、それは「箱男」、「燃え尽きた地図」、「密会」などにも反映されています。しかし、そのことに気付いている人は多くありません。文学関係者にはどうも数学が得意な方が少ないようです。その数少ない批評家の一人は三浦雅士さんです。彼はその著書「主体の変容」で安部公房を取り上げ、ゲーデルとの関連を指摘しています。三浦雅士さんは雑誌「現代思想」の編集長をしていたことがあり、そのことが関係しているのかも知れません。「現代思想」は私が最も長期にわたり定期購読している雑誌ですが、理系・文系を問わず、ポップカルチャーに至るまで様々なジャンルの思想をとりあげていて大変ためになります。
 先日「数学ガール」を買ったのも、この問題が、小説にどう取り入れられているのか興味があったからなのですが、期待に反して、ゲーデルの不完全性定理を説明するのに、少し物語りの枠組みを与えているに過ぎません。以前(2010/4/1)に取り上げたスカーレット・トマス「Y氏の終わり」はハイゼンベルグの「不確定性原理」を小説の中に組み込んでいます。ただ説明するのではなく、不確定性原理が小説のプロットやテーマとして取り上げられておりとても面白く読みました。

ゲーデルの不完全性定理をテーマにしたこのような小説があれば面白いのですけれどもね。先ほど挙げた安部公房の小説もそのうちには入るのかも知れませんが、もっと厳密な意味でのゲーデル的小説が読んでみたいものです。私が書かないと駄目か知らん?

 本日のお昼の音楽はバッハ「ヴァイオリン協奏曲」諏訪内晶子さんの演奏で聴いております。

本日は、先日「芸術劇場」で放送されたギル・シャハムのパルティータ2番が YouTube にありましたので、そちらを貼っておきます。とても、言い演奏だと思いますが、シャコンヌなどで、重音の高音部と低音部の音のバランスが少し気になるところがあります。








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