2009年1月30日金曜日

アイルランド(2)

アイルランドの話をもう少ししておきましょう。 どこから話を始めましょうか。考古学的に言うと BC3500 くらいから新石器時代に入りますが、アイルランドでもストーン・サークルやドルメンなどの巨石文化が始まります。もっとも有名な遺跡は写真・上の New Grange 遺跡で BC3000 前後のものと言われています。この当時はドゥロイド僧を中心とする自然崇拝の時代で、中心部の石室に、1年に一回冬至の日のみに光が差し込むように造られています。
 その後、紀元6世紀頃に大陸からケルト人が渡って来て、ケルト文化が栄えるようになります。写真・左下はケルトの装飾品です。ここに見られるようにケルトの美術は組紐模様をベースとした幾何学模様を特徴とします。(ケルトの美術に関しては、鶴岡真弓氏の「「ケルト/装飾的思考」(筑摩書房)などが参考になります。)
 その後、紀元 432 年に、St. Patrick がアイルランドにキリスト教を布教し、その後アイルランドは敬虔なカトリックの国になります。その際パトリックはケルト文化を抑圧しようとせず、キリスト教とケルト文化の融合を図り、その結果アイルランドには独特のキリスト教文化が生まれます。例えば、先日の写真の一番下には High Cross と言うアイルランド独特の十字架が写っていますが、十字の中心部にある円は日輪を表し、ケルトの太陽崇拝の名残だと言われています。また、この十字架にはケルト模様が一面に彫られています。またアイルランドの国花 Shamrock (シロツメクサ)はパトリックが布教する際三位一体を説明するのに用いたと言われています。
 写真・右下は、The Book of Kells と言う、8世紀頃に作成された聖書の写本の中の頁です。XPI (ギリシャのでキリストを表す「クリストス」の頭文字)を装飾的に描いたものですが、ここにもケルト独特の装飾が施されています。ローマ帝国がキリスト教を禁止すると、アイルランドはキリスト教布教の中心となり、数多くの修道院が建てられ(今でも至る所に修道院があります。マザー・テレサが最初に入ったのもダブリン郊外の修道院でした。)、写字僧によって聖書の写本も数多く作られました。
 ケルト文化はもともと文字を持たぬ口承文化で、キリスト教の布教とともにアルファベットがもたらされ、文字文化の時代になります。それ以前には吟遊詩人が活躍し、音楽に合わせて神話や伝承を語っていましたが、アイルランドのシンボルの一つであるハープはその伝統を表しています。現在も音楽が盛んなのはそのようなケルトの伝統に基づいていると思われます。
 修道院の写字僧たちは聖書を写すのみならず、ケルトの神話や伝承を文字にして行きますが、その際ケルトの神々が矮小化されて「妖精」になったと言われています。 20世紀初頭にイェイツが編輯した「ケルト妖精物語」はちくま文庫でから出ています。イェイツが妖精物語や民話を蒐集している時、500以上もの話を暗記している老婆がいたと言うことです。ケルトの口承の伝統はかなり近年まで残っていたようです。
 16世紀以降は英国の支配下、カトリック信仰はもちろん、アイルランド独自の文化も弾圧を受けます。アイルランドの音楽は、家の中で密かに歌い継がれ、そのリズムは暖炉の前で足を踏みならすことによって伝えられました。腕を両脇に付け、上半身を使わずに踊るアイリッシュダンスはこうして発達したと言われています。
 まだまだ、アイルランドについて語ることは多くあるのですが、長くなったので、今日はこの辺にしておきましょう。また、お話することもあると思います。

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