2009年3月5日木曜日

古井由吉の「漱石の漢詩を読む」


古井由吉の「漱石の漢詩を読む」を購入致しました。夏目漱石は元々漢学を好み、1881年には二松学舎に入学し漢学を学びます。しかし、その後漢学をやめ、大学予備門受験のため成立学舎に移り、英語の勉強を始めます。その後漱石は帝国大学英文科を経て、1900年から2年間英国に留学します。漱石が漢学を好みながら英文学を志すようになったのは、エリートとして、当時欧化政策をとっていた国家に有用な人材にならねばならぬと言う意識が働いていたからです。しかし漱石は帝国大学英文科教授就任依頼を断り、朝日新聞に入社し小説家の道を選択します。
 20世紀初頭、英文学はヘンリー・ジェイムズの心理小説、その後の「意識の流れ」を描くモダニズム小説等、人間の内部を描く小説が主流となっていました。英文学のテーマは、人と人との関係を描く「空間」から、自我の内部を描く「時間」へとシフトします。漱石の小説、とりわけ、第二の三部作(「彼岸過迄」「行人」「こころ」)では、この自我の問題が主要なテーマとなっていますが、それは当時の英文学の潮流と軌を一にしています。所謂「修善寺の大患」の後、第二の三部作は書かれるわけですが、丁度その頃、漱石は長年書いてこなかった漢詩をしきりと書くようになります。
 漢詩の世界とは「草枕」にあるように「非人情の世界」、言い換えれば、自我を超越した世界です。つまり、漱石はこの時期、「自我の世界」と「自我を超越した世界」という二つの相容れない世界を描いていると言うことになります。
 ここには、自分の趣味・好みと社会の要請、日本の伝統的な文化と西洋の文化と言った二つの世界に引き裂かれた明治と言う時代に生きた知識人の葛藤を見ることが出来ます。
 そのような意味で、余り一般的には読まれることも評価されることもなかった漱石の漢詩にもう少し注目してみる必要があるのではないかと思います。漱石の漢詩に関しては、吉川 幸次郎 の「漱石詩注」(岩波文庫)が有名でH氏も読んでいますが、今回この問題をもう一度じっくり考えたいと思い、この本を購入した次第です。

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