2011年7月27日水曜日

「くるみパン」と「サーターアンタギー」と「夢」そしてバッハ「パルティータ」

日はまた昼食を戴く時間がなくて、今頃になって仕舞いました。本日は「くるみパン」と沖縄の「サーターアンタギー」です。結構禁欲的?

デザートは「ピオーネ」です。それからハーゲンダッツが切れていたので買って参りました。クーポン券で3個60円引きになるので、3個買いました。

もとが1個198円なので、1個あたり178円になります。お得?

 昨夜はまた夢を見て夜中に眼を覚まし暫く眠れなかったのでまた睡眠不足です。講義中に眠たくなりました。内容的には「悪夢」と言う程のこともないので「夢」と書いておきましたけれど、実質的には悪夢です。
 もう1年半もあっていない友人と京都に来ています。何処かの部屋で、匂い袋の色でトランプのように数が決まっていてそれでお互いに取り合うゲームをしています。(もちろんこんなゲームは実在しません。)私は友人にすぐに負けて仕舞います。悔しいので、もう1度やろうと言うと、友人は用事があるのでちょっと出かけてくるから待っていてと言って出て行きます。一人で部屋に残されるのは寂しいので、私も後を走って追いかけます。すると友人はデパートのようなところに入って行きます。私も続いてガラスのドアを通って中に入り、友人が入ったと思われる店に入ろうとしますが、男性の店員さんに、もう閉店だから入れませんと突き返されます。暫くすると友人が緑色のユニフォーム姿で出て来ます。何だかトップのとても高い帽子を被っています。実際は私より背が低いのですけれど、何だかとても背が高くなっています。私は、アルバイトなんだなと思って友人に目配せをして、追い立てられるように建物を出ます。でも、中に入って行くお客さんも沢山おります。不思議に思いながら、振り返ると、友人は中で鮮やかな緑の葉が付いた枝で床を掃き掃除しています。
 その時ふと思うのです。私は 'feast of life' (人生の饗宴)から閉め出されているのだと。こんな言葉が出てくるのは、ジェイムズ・ジョイスの「ダブリン市民」の一篇「痛ましい事件」にこの言葉が出て来て、ふと思い出したからです。そして、私はそのガラスのドアの向こう側には入れない、閉め出された存在なのだと思って、身の凍り付くような孤独感に襲われます。
 そこで眼が覚めましたが、一人暗闇の中に横たわる私の身体にその感情が暫く残り眠ることが出来ませんでした。もう生きて行くのが嫌になって仕舞うような感覚です。(ご心配なく、深夜の一時的な感覚ですから。)

 そこで今日はバッハを聴いております。シフの演奏によるパルティータです。

それではシフの演奏で2番を貼っておきます。














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