本日の昼食は「おいなりさん」と「おはぎ」です。

「ゴディヴァ」の詰め合わせを戴きました。

先日、学会に行く電車の中で「ふがいない僕は空を見た」を読みました。

この小説の特徴はそれぞれ章が、別々の視点から描かれている点です。何人かの主要な登場人物が章ごとに視点となります。ある章では端役だった人物が次の章では、その章の視点となり、主人公の役割を果たします。そうすることによってそれぞれの人生を浮き彫りにすると共に、ある章では端役として簡単に描かれた人物にも、それぞれ様々な問題を抱えた独自の人生があると言うことを示してくれます。一つの物語を複数の視点から描く手法は面白く、物語を立体的に描く効果をあげています。
小説と言うのは大体主人公を詳細に描き、主人公に共感できるように書かれています。人生も或る意味で同じことです。「私」と言う主人公を中心に、「私」から遠い人物ほど端役として描かれることになります。
私は数年前フレッシュマン・セミターで「ラスト・サムライ」を学生に観せてディスカッションしたことがあります。多くの学生は「武士道に感動した。」とか「日本の伝統を守らなければ。」と言った感想を述べておりました。私がこの映画を取り上げたのは、武士道を美化して描かれたこの映画を、感傷的にならず、批判的に観る態度を身につけて欲しいと思ったからです。武士とは美点はあるにしても、畢竟殺人集団であり、刀は人を殺す武器です。最後の場面で、官軍の兵士を少人数でバッタバッタと切り捨てて行きますけれど、その官軍の雑兵にもそれぞれ人生があります。多くは貧農の次男・三男であり、好きこのんで軍隊に入ったわけではなく、糊口を凌ぐためやむなく軍隊に入った人たちです。確かに格好良くはありませんけれど、それぞれに人生があり家族もあるのです。この映画は感動させるように作ってある訳ですけれど、簡単に感動して仕舞うのは危険です。そのような人は、戦前なら国のために死ぬことを美しいことだとするプロパガンダに簡単に騙され、自分が死ぬだけならまだしも、それに荷担し、反対する人を非国民などと言いかねません。
最近、橋下大阪府知事が君が代を起立して歌わない教員を処分する条例を出そうとしている旨報道がありました。歌やら布きれに権力が過剰な意味を与えようとするのは、私にはとても危険なことのように思えます。一種のカルトのようなものです。
書く積もりの無いことまで書いて仕舞いました。本日のお昼の音楽は久しぶりに「ゴールドベルク変奏曲」を聴いております。

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