本日の昼食は「天麩羅うどん」です。
本日は「憲法記念日」です。私は日本国憲法第九条を、日本が誇りにすべきものと考えております。「九条を守る研究者の会」にも入っております。力の均衡などと言う愚かな考えに縛られている限り戦争は絶対に止むことはありません。憲法第九条の理念を世界中に広めることこそ日本がすべきことだと考えています。
現実的に考えても、軍備を撤廃し、自衛隊を災害救助隊に改組して、1年間の軍事予算4.8兆円だけでも、世界の災害救助や困っている方たちの援助に使ったら世界中からどんなにか尊敬される国になることでしょう。日本にはこれと言った資源もなく、侵略する意味など殆どありません。最も戦争を誘発する要素となるのは恐らく日本が軍事的脅威と感じられた時だと思います。世界に平和的貢献をして、戦争を防ぐための外交努力をすることによって、世界から尊敬・敬愛される国になることが最も確実な安全保障なのではないでしょうか。
昨日、ビン・ラディン氏が殺害されたとのニュースがありました。国際貿易センター跡で歓呼する人たちの映像が放送されていましたが、違和感を感じざるを得ません。もちろんテロリズムは決して許されることではありません。しかし、アフガニスタン・タリバン政権を、テロの首謀者と見なされるビン・ラディン氏をかくまっているとして、無差別攻撃をすることも同様に許されるべきこととは思えません。全く罪のない一般市民が空爆によって殺害されることがどうして許されるのでしょうか?アメリカの市民は殺されてはならないけれど、途上国の市民が殺されるのは構わないとでも言うのでしょうか?
9.11の光景は今でも覚えています。それは決して許されることではありません。しかし、アフガニスタンにしてもイラクにしても、戦争によって一般市民が殺されるのは日常的な現実になっています。あの事件は、謂わば、航空機の激突によって穴が穿たれ、「あちら側」の日常的現実が「こちら側」に流れ込んだのだと言うことも出来そうです。もちろんテロは批判されるべきですが、同時に、「あちら側」では無垢の市民が命を落とすのが日常的になっていると言うことを忘れてはならないのだと思います。
世界を見回してみると、独裁は往々にして貧困によってもたらされていることが分かります。独裁政治をなくすことも、テロを撲滅することも、決して暴力によって成し遂げられることではありません。暴力は必ず暴力を再生産します。家族などを攻撃により失ったものは、復讐しようとしてテロリストになります。世界中で使われている厖大な軍事費を貧しい国々を援助することに使う方が、テロを撲滅すると言って戦争をするよりも、間違いなく効果があると思います。
松島基地の練習用のF-2戦闘機18機が津波のため水に浸かり壊れたと言うことです。当初、修理できるかどうか調べるため分解するのに、第1次補正予算で136億円が計上されたと言うことです。最近の情報では、結局修理可能と見なされ、修理を行うようになったようです。恐らく、何百億円か必要になります。因みにF-2戦闘機の値段は1機130億円です。平気というのは途方もなくお値段が高いのです。もちろんそこには大きな利権が生まれます。いずれにしても、今そのような高額な予算を戦闘機の修理に使っている余裕はあるのでしょうか?被災された方々を助けるために使うべきではないのでしょうか?
本日のお昼の音楽はブラームス「ヴァイオリンソナタ」です。ムター姉さんの新盤で聴いています。
本日は第3番第1楽章を諏訪内晶子さんの演奏で貼っておきます。数年前芸術劇場で放送されたものですね。私はしっかり録画してDVDに保存してあります。
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