2010年12月23日木曜日

「フルーツサンド」と「ノルウェイの森」(再)とブラームス「ピアノ協奏曲第2番」

ぎの仕事の目処が立ちましたので、本日からまたブログの再開致します。ただ、毎日書くのは大変なので、更新は1週間に1回くらいにしたいと思います。実は今日がお休みなのをすっかり忘れておりました。大学に来てみたら、何やら閑散としているのでカレンダーを見たらお休みでした。

 ここ数日食欲がなくて殆どものを戴いておりませんが、本格的な冬に向かって、そろそろ何か食べて脂肪を蓄えておかなくてはなりませんので、(冬眠を準備する熊みたい?)本日はちゃんと「フルーツサンド」を買って参りました。因みに、先日の健康診断の結果は異常なし。全ての値は理想的な数値になっております。(血圧は大分低いのですが。)自分でも嫌になるくらい健康体です。

12月4日のエントリーで村上春樹「ノルウェイの森」のお話しを致しました。先日読み返してみましたので、もう少し詳しくお話ししたいと思います。

この小説は「死」或いは「喪失」を巡る物語でもあります。直子は、姉と幼なじみであり恋人でもあるキズキを自殺で失い、緑は父と母を脳腫瘍で失っています。語り手であるワタナベ君も友人のキズキ、そして直子を失うことになります。そして、その「喪失」に対して人はどう向き合うのか? それが一つのテーマとなっています。
 人というのは「振り返る」存在なのかも知れません。竪琴の名手オルフェウスは、その見事な演奏で冥界の住人を魅了し、冥界の神ハーデスから、亡くなった妻エイリディケを現世に連れ戻す許しを得ますが、地上に出るまでは決して振り返ってはいけないと言う約束に反し妻の方を振り返って仕舞い、その結果妻を取り戻すことが出来ませんでした。また、旧約聖書のロトの妻は滅び行くゴモラを振り返ったため塩の柱になってしまいます。
 直子は、失った死者の方を向いている人間です。死者に背を向けて「ロバのウンコ」のような現実の世界で生きて行くことが出来ない人間です。
 それ故、直子は外界から隔離され、傷つけ合うこともない、静かな京都の山奥の療養所に入らなければなりません。そこは、ワタナベ君が読んでいる「魔の山」のサナトリウムのように、「一度入ると外に出るのが億劫になる、あるいは怖くなる」場所です。そして、そこは現実の世界の雑多な混乱を免れているが故に美しい場所ですが、「手入れの行き届いた廃墟」のような場所でもあります。
 一方、緑は両親を失いながら、「妙な性具」を売っている大人のおもちゃ屋があったり、路地で飲み過ぎた学生が吐いていたり、浮浪者がうずくまっていたり、公衆電話をかけている女性に3人ずれのサラリーマンが「オマンコ」と叫んでいる、「ロバのウンコ」のように意味がないように見える現実の世界で、自分なりのディシプリンを立てて逞しく生きて行こうとしています。
 ワタナベ君は「魔の山」のハンス・カストルプのように、山奥の療養所から下界に、直子の世界から緑の世界に降りてきます。

 本日のお昼の音楽は、この小説にも出てくる、バックハウス、ベーム/ウィーンフィルによるブラームス「ピアノ協奏曲第2番」です。この曲は何と言ってもこの演奏が一番です。

それではバックハウスの演奏で、第1楽章と第3楽章の一部を貼っておきます。




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