2010年12月7日火曜日

読書会「シューマンの指」と「フルーツサンド」「モンブラン」そしてブラームス「ヴァイオリン協奏曲」

日は午前中読書会がありました。その後すぐに会議があり、それから昼食を買って参りました。本日の昼食は久しぶりに「フルーツサンド」です。

読書会の時に「モンブラン」を戴いたのを忘れておりました。失敗!

本日はアイスクリームを戴くのを控えようと思います。

 本日の読書会では先日ご紹介致しました奥泉光「シューマンの指」を読みました。

結構売れているようです。私の持っているのは初版で7月23日発売となっておりますが、皆さんの本は10月発売で既に4版となっておりました。(因みに、この小説は語り手里橋優の手記形式をとっていますが、初版の出版日が、この手記の日付となっております。)せっかくですから、少し詳しくこの小説のことをお話ししておこうと思います。ただし、ミステリーなので、結末が分かってしまうようなことは申し上げません。
 皆さん、面白く読まれたと言うことでしたが、余りシューマンやシューマンの曲には詳しくないので、曲の解釈などの部分は鬱陶しく感じたとのことです。まあ、そうでしょうね。しかし、この小説はシューマンの伝記、曲の解釈と深く関わっています。
 物語は、音大のピアノ科を目指す、語り手の高校に、十数歳で著名な国際コンクールのジュニア部門で優勝し、将来を嘱望されるピアニスト、永嶺修人(まさと)が入ってくるところから始まります。もちろん、修人と言う名前はシュー(修)・マン(人)とかけてあります。やがて彼らはもう一人を加え3人で、シューマンに因み、「ダヴィッド同盟」を結成し、「新音楽時報」と言う雑誌を作ります。永嶺修人はある悩みを抱えており、それは指を痛めピアニストになることを断念し、やがて晩年に至って精神を病むシューマンの姿に重ね合わされます。また、彼のシューマンの曲に関する解釈は、心に暗部を抱えるシューマン自身の音楽観を暗示しています。
 その解釈が正しいのか正しくないのかは私には分かりません。また、どんな優れた音楽評論家でも、シューマンの音楽観がどんなものであったかを正確に特定することは出来ないのだろうと思います。
 奥泉光のミステリーは、謂わば、アンチ・ミステリーです。つまり、通常の推理小説のように、真実は一つであり、それは一つ一つの事実を検証すれば解き明かすことが出来る、と言う考え方を否定しているのです。この小説でも殺人事件が起きます。しかし、最後まで明確に解き明かされることはありません。そして、それはシューマンの曲の謎を最終的に解き明かすことは出来ないと言うこととパラレルな関係にあります。
 皆さんはどのように読まれるでしょうか。

 本日のお昼の音楽はブラームス「ヴァイオリン協奏曲」に致しました。本日はムター/カラヤンで聴いています。

それでは第3楽章を貼っておきます。


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