2009年6月16日火曜日

不愉快な本: 三砂ちづる「オニババ化する女たち」

H 氏は今年フレッシュマンセミナーの担当で、授業で何冊か本を読ませ、発表・ディスカッションをしています。その中には学生に批判的に読んで欲しい本も入っています。この本もそのような意図で選んだ本です。 本日、その発表とディスカッションを行いました。
 著者は、オニババの昔話を「社会の中で適切な役割を与えられない独身の女性が、山に籠もるしかなくなり、オニババとなり、ときおりエネルギーの行き場を求めて、若い男を襲うしかない、と言う話だったと、私はとらえています。」と言い、「性と生殖に関わるエネルギー」を発散できない、結婚・出産をしていない女性を「オニババ」だと言います。
 もしかしたら、インパクトを与えるためにこのようなタイトルにしたのかも知れませんが、結婚・出産をしていない女性がこのようなことを言われてどんな気持ちになるか想像したことはないのでしょうか?「子どもを産むことやからだに向き合うことによって、女性の人生というのはレベルアップして、より広い視野でいろいろなことが出来るようになる」そうですが、そのようにレベルの高い著者がその程度のことも想像できないのでしょうか?
 仮に著者の言うように「社会の中で適切な役割を与えられない独身の女性」が「オニババ」になるのだとしたら、産むことにしか価値を認められなかった女性に「社会の中で適切な役割を」与えることこそ大切なのではないでしょうか?フェミニズムは、子供を産み育てることにしか価値を認められず、それ以外に選択肢の無かった女性に、一人の人間としての価値と人生における選択肢が認められると言う、人間として必要最低限の権利を目指してきました。それをあたかも女性を「オニババ化」の元凶の如く言うのは甚だ筋違いと言わざるを得ません。H の知っている、著者の所謂「オニババ」なる女性は皆心優しい立派な方ばかりです。それを「オニババ」と言うなら、H は断固として「オニババ」の味方です。

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