前の30代半ばくらいと覚しき二人組がカウンターでメニューを見ながら長時間注文を考えていたのでイライラしました。私など、前もって注文は決定し、順番が来るや「テイクアウトでレッドホットチキンラップ単体を一つお願いします。」で終わりです。他のお客さんにはサイドメニューなどを勧めるようですが、私には何も言いません。
本日は「アヴェ・マリア」特集です。「アヴェ・マリア」は様々な作曲家が作っております。挙げれば切りがありません。多分、最も有名なのは、シューベルト、グノー、カッチーニと言った所でしょうか?
まずはグノーのアヴェ・マリア。私はバッハ好きですし、この曲はかつてヴァイオリンでも練習したので一番馴染みの深い曲です。ヘイリーの歌でどうぞ。
次は、シューベルト。こちらはマリア・カラスで。
そしてカッチーニ。私はカッチーニが一番好きかも知れません。まずはヘイリーで。
続いては、英国の少年合唱団「リベラ」を聴いて見ましょう。
「リベラ」にはこんなのもありますよ。
これを聴くと、人間の声で最も美しいのはボーイソプラノではないかと思って仕舞います。
かつてイタリアには「カストラート」と言う去勢した男性歌手がおりました。ボーイソプラノを保つためそんなことまですると言うのも多少理解出来るような気も致します。もっとも、当時イタリアでは女性は舞台に立てなかったので、それもあったのかも知れませんけれど。
「カストラート」を巡っては、バルザックの短編に「サラジーヌ」と言う面白い作品があります。フランスからやって来た青年が、事情を知らずサラジーヌと言う「カストラート」に恋をして仕舞うお話しです。この短編に関しては、批評家のロラン・バルトが面白い本を書いています。
「サラジーヌ」をレクシと言う細かな断片に分け、5つのコードを使って構造分析して行きます。その結果意味は拡散し、こぼれ落ちて仕舞うと言うことになりますが、この本は構造主義からポスト構造主義へ移行する結節点となる重要な批評になっています。
さて、聖母マリアは数多くの絵画のモチーフともなっていますね。これも挙げたら切りがありません。
おっと、これはアメリカのマドンナです。今度こそ、まずは有名なリッピの絵を2枚ほど見て下さい。
宗教画だと言うこともあり、まだ中世的なところが残り、マリアの肉体性は余り感じられません。それが、ルネサンス最盛期のラファエロあたりになると大分感じが変わって来ます。
全体的にふくよかな感じになります。
キリスト教は女性からセクシュアリティーを剥ぎ取り、母性のみを善として聖母マリアを作り上げました。その展に関してはフェミニストH には言いたいこともある訳ですが、優しい母性が信仰の対象となったことについては肯けるところもあります。
ろそろ会議に行かなければなりません。今日はこの辺りで。ご機嫌よう。
キリスト教は女性からセクシュアリティーを剥ぎ取り、母性のみを善として聖母マリアを作り上げました。その展に関してはフェミニストH には言いたいこともある訳ですが、優しい母性が信仰の対象となったことについては肯けるところもあります。
ろそろ会議に行かなければなりません。今日はこの辺りで。ご機嫌よう。
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