私は旧仮名遣いを難なく使えます。小学生の頃から夏目漱石を全集版で読んでいたためです。ですから、「かおり」を「かほり」などと書いてあるのを見ると気になって仕方ありません。「におい」は「にほひ」ですが、「かおり」は「わ」行なので「かをり」になります。
でもそればかりではありません。私が極普通に使っている「・・・か知らん」と言うのも恐らく普通は「かしら」であって「か知らん」と言う方は余りいないのではないのか知らん?更に、それ以外でも私が当たり前だと思っている言葉遣いも、もしかしたらちょっと普通ではないのかも知れないと思う時があります。「一所懸命」が今では「一生懸命」と言われるのが普通になっているのは知っています。でも、意味がおかしくなるので私には使えません。
授業中などでも、例えば、私が日常的な語彙だと思って「恣意的」などと言う言葉を遣うと、時折理解してない学生がいるようです。先日は、50歳近くになる先生とお話しをしていて、私が「博覧強記」と言う言葉を遣ったところ、その先生はご存じなかったようです。えっ!? そして、恐らく私の言葉遣いは私の年齢にしたら、丁寧すぎるのだろうなと言うことは想像に難くありません。でも私は自分の言葉遣いを変えるつもりはありません。それにしても、私の言葉遣いって明治の言葉遣いなのか知らん?
ちょっと話が変わりますが、実家に電話をかけると母が「○○でございます。」と出ます。それは普通です。でも、その「ございます」の「います」の所がちょっと違います。僅かに音便化されていて、柔らかい感じがします。多分、それは東京の山の手言葉なのだと思います。私は職業柄心懸けてくっきりと発音するようにしておりますけれど、多分「Kでございます。」と電話に出るときには思わず母のような発音になっているような気がします。最近では余りそのように発音される「ございます」を聞く機会はございません。実家に電話して母が「○○でございます。」と言うのを聞くと何だか懐かしい心持ちになります。これもやがては失われて行く言葉なのかも知れません。
先日「ボーナス」が出ました。でも、毎年何パーセントカットとか言われて、支給額が少なくなって行きます。こんなに一所懸命働いているのに!とはいえ、矢張りボーナスが出ると嬉しくて、色々と購入計画を立てます。その一環としてまず、CDとDVDを何枚か買おうと思います。ふふふ。(と不気味にほくそ笑みつつ) それで現在決定しているのは最近出たヒラリー・ハーンのショスタコーヴィッチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」の入っているDVD、それから、私の好きな「木靴の樹」の監督エルマンノ・オルミが撮った最新作「ポー川のひかり」のDVDです。あと数枚は買うつもりです。選ぶのもまた楽し!それから、ヴァイオリンの弓の毛を張り替え、バレットも交換しようと思っています。
本日の音楽はショスタコーヴィッチ「ヴァイオリン協奏曲第1番」に致します。
それではヒラリーの演奏で第1楽章をどうぞ。
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