本日の昼食は「くるみパン」と「あんドーナッツ」です。
また「あんドーナッツ」を買って仕舞いました。 喝!
本日の1枚はミレイの「オフィーリア」です。
ミレイはあのフランスのミレーではありません。19世紀後半の英国の「ラファエル前派」の画家、 John Everett Millais
のことです。綴りを見ると元はフランスから移住したのでしょうね。
絵画としては取り立てて好きだと言う訳ではございませんが、夏目漱石の「草枕」で言及されているため、印象深く記憶に残っている絵です。
漱石は漢文学が好きで、一時は二松学舎に入学しますが、漢文は過去のものであり、明治の時代には無益なものだと考え、成立学舎に入って英語を勉強し始めます。やがて当時出来たばかりの東京帝国大学英文科に入学して英文学を学びます。漱石は明治時代のエリートであり、国のために貢献すると言う役割を暗に負わされていました。ですから、漢学者になりたいからと言ってそうする訳にも行かなかったのです。大学院を修了後、教師となり松山、熊本へと赴任し、文部省の命により2年間英国に留学します。しかし、英文学は同じ文学といいながら、漢文学とは全く異質なものであり、漱石は英文学に裏切られたとの感慨を抱きます。
漱石は西洋的な自我の世界ではなく、東洋的な無我の世界に憧れていたようです。「草枕」では画家の「余」が一人称の語り手になっています。彼は「現実を冷酷に見る不人情」でもなければ、「感情移入して共に泣き笑いしなくてはならぬ不人情」でもない「非人情」を求め、熊本の小天温泉にやってきます。それはまた漢文学の世界でもあります。因みに、漱石は実際に小天温泉を訪れたことがあり、「草枕」の舞台となる「那古井館」に宿泊致しました。この旅館は現在も残っています。一度行ってみたいと思っているのですけれど、未だに果たしていません。
この小説がグレン・グールドの愛読書であったことは有名ですが、グールドもこの東洋的な無我の世界に憧れていたのかも知れません。
漱石は英文学に裏切られたと感じ、そして英文学は理解できないとも言います。しかし、漱石ほど英文学、そして西洋の文化を理解していた人はいません。漱石は「草枕」に憧れの世界を書きますが、やがて、「草枕の様な主人公ではいけない。」と言い、「死ぬか生きるか、命のやりとりをする様な維新の志士の如き烈しい精神で文学をやって見たい。」と述べます。そして、三部作、第2の三部作に見られるような自我を突き詰める小説を書きます。
さて、ミレイの「オフィーリア」は、もちろん、シェイクスピアの「ハムレット」を題材にしています。ハムレットに捨てられ、しかも父ポローニアスを殺されて気の触れたオフィーリアは小川縁の柳に花環をかけようとして転落し水死します。この絵は水死し小川に浮かぶオフィーリアの亡骸を描いています。
「ハムレット」はもちろん文学作品としては優れた作品ですけれど、現実世界にハムレットがいたら、とても鬱陶しい人物のように思えます。
K: ハムちゃん、なんだよウジウジしちゃって!復讐するならする、死ぬなら死ぬ、さっさと決めたらどうなんだい?私はそう言う優柔不断なのは大嫌いだ。
ハム: だって、色々考えることがあるし・・・。そう簡単は行かないんだよ。
K: それにポロさん、殺さなくてもいいだろう?唯の愚かな俗物なんだから。オフィーリアが可哀相だよ。それに、あなたのお母さんのガートルードさんが不貞を働いたからと言って、女が全部そうだと考えるのは短絡的過ぎると思うよ。彼女、気がおかしくなって死んじゃったじゃないか!もう知らないから。
ついでに、オフィーリアともお話ししてみましょう。
K: お父様が亡くなったのは気の毒だけど、あんな男に振られたくらいでそんなに落ち込んでそうするんだい?
オフィ: だって私、ハムレット様を愛していたのよ。それがあんな風になって仕舞って、私に「尼寺行け」なんて言うんですもの!
K: もっと強くならないと駄目だよ。このミッフィーちゃんの縫いぐるみを上げるから、辛いことがあったら、これを抱きしめて寝て仕舞いなさい。
オフィ: 有り難う。でもねえ・・・。
K: 君は将来結構有名になっちゃうのよ。女がこんな弱い者だと世界中に勘違いされたら、他の女性に迷惑をかけることになるよ。しっかりしなさい!出来ないなら、本当に尼寺にでも行ったら?もう、知らない!
そう言う訳で、本日のお昼の音楽はグレン・グールドのバッハ「ゴールドベルク変奏曲」です。81年版は私が中学生の頃初めて買ったグールドのCDです。何度聴いたか分かりません。
それでは「ゴールドベルク変奏曲」の一部を貼っておきます。
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