2011年6月24日金曜日

「出講」と「沖縄・慰霊の日」と「原発」そしてバッハ「無伴奏チェロ組曲」

日は出講日でした。帰ってから、昨日のゼミに就職活動のため出席できなかった学生のためにゼミを致しました。疲れて倒れそうです。

 昨日は「沖縄・慰霊の日」でした。私も正午に黙祷を捧げました。沖縄戦では、誤った情報操作により、また、日本軍の多くの民間人が自決に追い込まれました。国も軍隊も沖縄の人たちを見捨て、犠牲に致しました。
 しかし、沖縄で起こったことをなかったことにしようとする人たちも多く存在します。歴史の教科書には、教科書検定により、軍により集団自決を強制されたことを記すことは出来ません。また、集団自決のことを書いた、大江健三郎「沖縄ノート」が名誉毀損で訴えられましたが、今年4月に大江氏側の勝訴に終わりました。
 私たちは沖縄の体験を風化させてはいけません。ちょっと油断すると歴史は改竄されて仕舞います。大江健三郎「沖縄ノート」(岩波新書)や元沖縄県知事太田昌秀「平和の礎(いしじ)」(岩波新書)はお薦めです。

 「福島第一原発」は益々状況が悪化していますが、先日は東京電力が原発建屋周辺の地下に鉄板を埋める計画を立て、予算1000億円を見込んでいながら、株価への影響を恐れ発表していなかったことが発覚しました。何故このような措置を取らなければならないかと言うと、原発建屋内に溜まった超高濃度の汚染水が、地下に漏れ、地下水や海水に流れ込む恐れがあるからです。一刻も早く取りかからなければならない措置ですが、またもや東電は組織防衛のため発表を遅らせました。更に、このような事態を想定していると言うことは、溶けた核燃料が、格納容器も貫通し、さらに、原発建屋下のコンクリートも溶かして貫通する可能性があると認識していると言うことです。以前、申し上げましたように、状況を考えると、溶けた核燃料が格納容器を貫通していると考えるのが合理的です。私のような素人でさへそのくらいのことは推測できますのに、東電に分かっていないとはとうてい思えませんでしたけれど、これまで認めようとはしませんでした。しかし、今回のことで東電にもそのような認識があったことが明らかになりました。このような状況に至ってまで、組織防衛を優先し、情報を隠蔽する東電の体質にはほとほと呆れます。事故の処理を東電に任せておいてよいのでしょうか?御用学者ではなく原発の危険性を指摘してきた研究者や、利害関係のない技術者を集め、国の責任で事故の収束に当たるべきなのではないでしょうか?

 本日の音楽は祈りを籠め、バッハ「無伴奏チェロ組曲」を聴いております。

ロストロポーヴィッチは反体制作家ソルジェニーチン氏を擁護したため、反体制と見なされ、演奏活動が一切出来なくなりソビエトから亡命しました。同じく、亡命したアンドレイ・タルコフスキー監督の葬儀で、この曲を弾きました。それでは第1楽章を貼っておきます。




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