「ミニ」と付いているのが余りないのでついこれになって仕舞います。
先日、教員の鬱病による休職や自殺が史上最悪になっているとの報道がありました。私も教育現場にいて、実感として理解出来ます。実際、私の勤めている大学でも、数年前自殺者が出ましたし、鬱病で休職している教員もいます。
教育現場に所謂「競争原理」が持ち込まれた結果として、教員は忙しくなったのと同時に精神的なストレスを過剰に背負い込んでいます。橋下大阪市長などは、教員をランク付けし、2年連続して最低ランクになった教員を首にすると言う条例を作ろうとしました。(まだ実行されてはいないようです。)しかし、教員のランクずけとは一体何なのでしょう?
私の大学でも教員の業務を点数化し、それによって研究費が配分されています。しかし、ポイントになるのは数字で計れるものだけです。学生指導にどれだけ熱心に取り組んでいるか、講義の準備にどれだけの時間が費やされているか、そういったことは点数か出来ません。点数を上げようと思ったら、学生指導の手を抜き、論文を数多く書いたり、学生に受けのよい授業をすればいいのです。もちろん心ある教員はそのようなことはしません。そしてそう言う教員ほど点数が低くなって仕舞います。
それに、点数化するために、面倒な書類を書かなければならず、その他、研究計画書や報告書など、かかなくてはならない書類が多数あり、それに時間を取られ教員は益々忙しくなって行きます。それから、学生による授業評価が年に4回もあり、その度にコメントを書かなければなりません。大学の講義は各教員の研究の成果でもあり、長い年月をかけて少しずつ充実してものにして行かなければなりません。3ヶ月おきに改善できるような安易なものではありません。そんなことは皆分かっているのに、それをしないと大学の評価が低くなって仕舞うので、形だけやっていると言うのが現状です。このようなことに時間を取られ、肝心の研究や教育にかける時間が潰されています。本末転倒も甚だしいところです。
教育現場は、このように全く時間的にも精神的にも余裕のない状況に置かれています。教育を真面目に考え、学生指導をしっかりしている教員ほど、疲労しストレスが溜まります。しかも、管理が強まり、小・中・高では職員会議、大学では教授会の権限が大幅に縮小され、意見を言える場すら無くなっているというのが現状です。教育現場には本来余裕が必要ですが、それが年々失われています。このままでは、教育現場は益々荒廃して行くと思います。
安倍首相は、戦後教育を全面的に否定し、戦後の人権教育や日教組が全て悪いと言っています。極めて胆略的で愚かな考えだと言わざるを得ません。これから教育現場は一体どうなって仕舞うのでしょうか?私は、たとえ「田作の歯ぎしり」であっても、一教員として、理想を持って、少しでも大学をよくして行きたいと思っています。
本日は、学科の忘年会があります。忘年会などと言ったものは余り好きではありませんが、出席致します。美味しいお店だといいのですけれど・・・。
本日の音楽はベートヴェン「ヴァイオリンソナタ第5番(春)」です。
アルゲリッチ/クレーメルの演奏を貼っておきます。
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