2011年8月6日土曜日

「韓国式キムチ冷麺」と「冷やしぜんざい」と「原爆の日」そしてバッハ「無伴奏チェロ組曲」

日の昼食はまた「韓国式冷麺」にして仕舞いました。

デザートに「冷やしぜんざい」を戴きます。

 本日は「原爆の日」です。早起きをして8時前に起き、8時15分に黙祷を捧げました。毎年、この日には怒りを新たにします。一般市民が住む街に原子爆弾を落とし、一瞬にして十数万人もの人の命を奪う。人間にそのような残忍なことが出来ること自体に私は驚愕と底知れぬ怒りを感じます。そして、悲惨な亡くなり方をした多くの方々、被曝によって亡くなられた方たちに心から哀悼の意を表したいと思います。

 今年は取り分け福島第一原発事故の結び合わせて考えざるを得ません。原発事故は起こそうとして起こした訳ではないでしょう。しかし、少なくとも電力会社や御用学者など、ある程度の知識のある人たちは原発の危険性を認識していた筈です。それ故、少なくとも未必の故意にあたります。もちろん未必の故意は犯罪です。私のような素人でも、ちょっと原発の原理を調べれば、危険性は認識出来ます。とりわけ、地震大国の日本では原発事故の可能性は極めて高いと言わざるを得ません。
 福島第一原発の事故で汚染された地域は広範囲に及びます。日本の法律には「放射線管理区域」として立ち入りを規制する法律があります。それを適用すると、福島県全県の面積を上回る地域が「放射線管理区域」になって仕舞います。現在、避難区域の基準となる1年間の被曝線量20ミリシーベルトは放射線管理者の規制値です。(一般の人の規制値は1ミリシーベルトです。) 今後も汚染は拡がりますし、仮に事故が収束したとしても、処理をする技術すらない、とてつもなく大量の超高濃度の汚染物質が残ります。
 このような事故を起こしながら、性懲りもなく原発を続けようとするのは、最早、未必の故意ではなく殺人だと思います。私は強い怒りを覚えます。

 先日もお話し致しましたが、まだ初々しい学生だった2000年の8月6日に、実家が広島の友人の所に泊めてもらい、式典に出席して原爆資料館を見学、そして晩にヨーヨーマのコンサートでバッハ「無伴奏チェロ組曲」を聴きました。その後、ヨーヨーマが平和記念公園で演奏をすると言うことでしたので、平和公園に戻り、精霊流しの灯火が流れる元安川の対岸で再び「無伴奏チェロ組曲」を聴きました。それ以来、原爆の日には必ずこの曲を聴いています。本日の音楽ももちろんヨーヨーマバッハ「無伴奏チェロ組曲」です。

以前にも一度貼ったことがありますけれど、ヨーヨーマが震災の被災者に捧げた演奏を貼っておきます。その演奏には次のようなメッセージが添えられています。

 As the people of Japan continue to endure profound hardship,
 I have been thinking, as so many people have, about how
 culture can respond in a way that is directly meaningful.
 Is there a way for artists to bring solace to those who are
 suffering such overwhelming tragedy? A friend in Tokyo
 recently answered that question by saying, "I believe that
 everyone should do anything he or she believes to be good,
 without hesitation, because the absence of action brings nothing."

 I hope this video will bring solace and comfort to the people of Japan.

 -- Yo-Yo Ma

日本の人たちが深い困難を耐え続けている今、私は、他の多くの方々と同様、文化が如何にして、直接有意義になるようなやり方でそれに応えることが出来るか考えて参りました。芸術家がそのように圧倒的な悲劇に苦しんでいらっしゃる人たちに慰めをもたらす方法はあるのでしょうか?東京のある友人が最近こう言ってその問いに答えてくれました。「誰もが自分がよいと信じることを躊躇無く行うべきだと私は思う。行為のないところには何も生まれないのだから。」

 私はこのヴィデオが日本の人たちに安らぎと慰めをもたらすことを願っています。 ヨーヨー・マ
(私の拙い訳です。)


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