2011年3月22日火曜日

「チョコブレッド」と「プルトニウム」とバッハ「フーガの技法」

日の昼食は「チョコブレッド」「チーズフォンデュ」です。

苺とコンデンスミルクが切れていたので買っておきました。コンデンスミルクは今シーズン3本目です。

 本日から、少しずつ、原子力や核物質、放射線などについてのお話しをしようと思います。本日は少しプルトニウムのお話しを致します。プルトニウムが発見されたのは1942年です。自然界には殆ど存在していません。ご存じのように「原子力発電所」は初めから発電所として開発された訳ではなく、「マンハッタン計画」で核兵器の材料を作るために作られた施設です。その過程で大量の熱を発生するため、それを発電に利用すると言う発想から原発は生まれました。
 原発でウラン燃料を燃やすと、その生成物としてプルトニウムが発生します。特にプルトニウム239は核分裂しやすいため核兵器に用いられます。
 プルトニウムはこの世で最も毒性の強い物質です。現行の許容量でも(これについては疑義が持たれている)、一般人の肺の中に取り込む限度は、0.0016マイクロキューリー、約4千万分の1グラムです。もちろん目に見えるような分量ではありません。分かりにくいと思いますので、別の言い方を致しますと、1キロで1兆人分の許容量にあたります。しかも半減期は2万年以上ですから、半永久的に放射線を発生し続けます。
 ただし、プルトニウムの発するアルファ線は皮膚を僅か40ミクロンほどしか進みません。ですから外に密閉して置いておく限りはさほど危険ではありませんが、一度僅かでも人体に入った場合、排出されにくく、確実にDNAを破壊します。
 本日の記事のもとになっているのは高木仁三郎さんの「プルトニウムの恐怖」(岩波新書)です。高木さんは投稿大学理学部を出た後、日本原子力事業、東京大学原子核研究所、東京都立大学を経て、原子力資料情報室の設立に加わり1987年から1998年まで代表を務められました。この「原子力資料情報室」とは、原子力についての正確な情報を一般の方たちに伝えることを目的として設立された機関です。高木さんが原子力の研究者としてのキャリアを捨てたのは、研究者であるが故に原子力発電の危険性に気づき、このまま続けていたらやがて取り返しのつかないことになると考えたからだそうです。2000年に62歳の若さで癌のため亡くなりましたが、ご自分でも原子力の研究者として多くの放射線を浴びていたからだと確信しておりました。病に冒されながら最後に書かれた本が「原発事故はなぜくりかえすのか」(岩波新書)です。一般向けに分かりやすく書かれておりますので、是非お読みになって下さい。

 昨日はバッハ大先生のお誕生日でした。1日先生の曲を聴き、締めくくりは、下手くそながらソナタ1番・アダージョ、パルティータ2番・アルマンドを心を籠めて演奏させて戴きました。本日も後夜祭としてバッハの曲を聴いております。本日のお昼の音楽はバッハ最後の作品「フーガの技法」です。以前にも申し上げたとおり、終わり近くに BACH と自らの名前が音として埋め込まれております。

グレン・グールドの演奏で 'Contrapunctus 1' のオルガンとピアノのヴァージョンで貼っておきます。




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