2009年3月9日月曜日

福岡教育大学管弦楽団のコンサート(「死の舞踏」「ラフマニノフ・ピアノコンチェルト2番」「ブラームス交響曲2番」)に行って参りました



H氏は週末福岡までコンサートに行って参りました。コンサートと言っても、「福岡教育大学管弦楽団第39回定期演奏会」と言う地味な(失礼?)コンサートです。H氏は福岡教育大学に知り合いがいて、その方からチケットをあげるから来ないかというお誘いがあって、行って参りました。曲は、サンサーンスの交響詩「死の舞踏」、ラフマニノフの「ピアノコンチェルト2番」、ブラームスの「交響曲2番」です。このプログラム、少々「のだめ」っぽいのですが、ラフマニノフもブラームスもH氏のお気に入りなので楽しく聴かせて戴きました。福岡教育大学には芸術課程があってそこの学生さんを中心に編成されたオーケストラです。指揮者には時任康文を迎え、アクロスのシンフォニーホールであったのですが、中々本格的です。お客さんも沢山入っていました。
 当初、ラフマニノフのピアノは、先生の吉田眞理さんが弾く予定でしたが、体調を崩されたと言うことで急遽変更され、佐藤彦大さんと言う東京音楽大学の学生さんがピアノを弾かれました。H氏としてはちょっと残念でしたが、佐藤さんも頑張って弾かれていました。
 うるさいことを言うと少々難もあったのですが、全体的には充分楽しめたし、音もまずまずだったのでよかったです。帰宅して日曜日にN響アワーで、NHK交響楽団と上原彩子がプロコフィエフのピアノコンチェルトを演奏するのを聴きましたが、こちらと比べると少しレベルが違うなと感じてしまうのはやむをえないところです。でも皆さん頑張っておられ、ちょっと感動ものでよかったですよ。これからも精進していい演奏をお聴かせ下さい。Hも陰ながら応援させて戴きます。また行きますよ。
 3月7日(土)の昼過ぎに福岡に着き、お昼は「リバレイン」に入っているフレンチレストラン「ひらまつ」で昼食を戴こうと思ったのですが、予約を取っていなかったので案の定満席。そこで、近くにある「季楽」(きら)と言うJA(?)がやっている産地直送佐賀牛を戴けるお店に行ってしゃぶしゃぶを戴きました。焼いて食べたらちょっとしつこいと思われるような霜の降ったお肉でしたが、しゃぶしゃぶで戴くと柔らかくてとても美味しかったです。その後ヤマハに立ち寄り譜面を買ってからホテルにチェックインし、少し休憩してからコンサートに行きました。ちなみに、H、最近よく譜面を買います。
 宿泊は西鉄グランドホテルに致しました。その他、H氏がこれまで福岡で宿泊したことのあるホテルは、グランドハイアット、ホテルオークラですが、この西鉄グランドホテルも中々いいですよ。でも、お風呂がまずまず広くはありましたが、ユニットバスだったので、そこはちょっと・・・。前にも書きましたが、H氏はユニットバスが嫌いで、お風呂とトイレが別で、シャワーブースが付いているお風呂のあるホテルを好んでおります。でも今回は近いと言うこともあってここに致しました。一昨年くらいにラファウ・ブレハッチのコンサートに来たときもこのホテルを利用致しました。ホテルオークラではコーナースイートに泊まりましたが、お風呂から夜景が眺められてとてもよかったです。(こんなことを書いているとH氏はお金持ちなのではないかと言う誤解を招くかも知れませんので言っておきますが、そのようなことは決してございません。ただ、ホテルは、狭いのと、ユニットバスが嫌なので、ちょっとよいホテルに泊まります。普段の生活は極めて質素で、たばこもお酒も嗜まないので、お金を遣うのは、本代と音楽関係の出費と、温泉旅行と時折美味しいものを戴くくらいなものです。)
 翌日のお昼はH氏が博多に行くとよく立ち寄る「たつみ寿司」にて、お寿司を戴きました。上の写真です。ここのお寿司はむらさきを付けずに戴くのですが、ネタが新鮮で中々美味しいです。
 ともかく中々よいコンサートでしたので、これからは地元の音大の演奏会とかにも行ってみようかなと言う気持ちになりました。と言う訳で、H、楽しく充実した週末を過ごしました。

2009年3月6日金曜日

「めぐりあう時間たち」とヴァージニア・ウルフの Mrs Dalloway

「めぐりあう時間たち」("The Hours")はマイケル・カニンガムの小説をスティーブン・ダルドリーが映画化し、ニコール・キッドマンが2003年アカデミー賞、最優秀主演女優賞を受賞した作品です。H氏は京都で友人と見に行きました。この映画はヴァージニア・ウルフの Mrs Dalloway を核にして、作者ヴァージニア・ウルフ(ニコール・キッドマン:1923年ロンドン)、読者ローラ・ブラウン(ジュリアン・ムーア:1951年ロサンゼルス)、登場人物クラリッサ・ヴォーン(メリル・ストリープ:2001年:ニューヨーク)のそれぞれ問題を抱える3人の女性の生き様を描いています。
 ヴァージニア・ウルフは精神の病を抱え療養のため田舎に引き込んで Mrs Dalloway の草稿を執筆しています。(この作品はもともと The Hours というタイトルでウルフの日記に現れ、後にMrs Dalloway に変更されます。)
 ローラ・ブラウンは優しい夫と息子を持つ家庭の主婦で、一見幸せな生活を送っているように見えますが、自殺を試み失敗し、夫と息子を残して家を出ます。この息子リチャードは後にクラリッサ・ヴォーンの元恋人として登場します。
 クラリッサ・ヴォーンは嘗てリチャードと付き合っていましたが、リチャードはホモセクシュアルで別れますが、今も友人としてエイズにかかり、余命幾ばくもないリチャードの面倒を見ています。クラリッサはその名前からダロウェイ夫人と言う渾名が付けられています。(ちなみにリチャードと言う名前はクラリッサ・ダロウェイの夫の名前です。)また彼女はレズビアンでサリーと言う女性と同居しています。(Mrs Dalloway の中でもクラリッサは若い頃サリー・シートンと言う女性とレズビアン的な関係にありました。)リチャードは詩人で、賞を受賞し、この日クラリッサは受賞パーティーを開こうとしていますが、リチャードは自殺してしまいます。(場面はクラリッサが花屋にパーティー用の花を買いに行くところから始まるなど、Mrs Dalloway と様々な箇所で対応しています。)
 Mrs Dalloway には、過去(記憶)と現在、心の内部に流れる時間(意識)と外部の時間(日常的な時間)とが描かれます。一方「めぐりあう時間たち」では、20世紀初頭、半ば、そして21世紀初頭という3つの時間の中で、それぞれ異なった問題を抱えながら、Mrs Dalloway と言う作品を通して共鳴し合う女性たちが描かれます。
 長くなってしまったのでそろそろやめておきますが、いずれの作品も読み応え、見応えのある作品になっています。Mrs Dalloway は自由間接話法を用いた独自の詩的文体で書かれ、原書で読む方が面白いのですが、英語自体が可成り難しいので読むのに苦労するかも知れません。翻訳では丹治愛氏が訳している集英社文庫版の「ダロウェイ夫人」がいいと思います。是非お読みになってください。

2009年3月5日木曜日

古井由吉の「漱石の漢詩を読む」


古井由吉の「漱石の漢詩を読む」を購入致しました。夏目漱石は元々漢学を好み、1881年には二松学舎に入学し漢学を学びます。しかし、その後漢学をやめ、大学予備門受験のため成立学舎に移り、英語の勉強を始めます。その後漱石は帝国大学英文科を経て、1900年から2年間英国に留学します。漱石が漢学を好みながら英文学を志すようになったのは、エリートとして、当時欧化政策をとっていた国家に有用な人材にならねばならぬと言う意識が働いていたからです。しかし漱石は帝国大学英文科教授就任依頼を断り、朝日新聞に入社し小説家の道を選択します。
 20世紀初頭、英文学はヘンリー・ジェイムズの心理小説、その後の「意識の流れ」を描くモダニズム小説等、人間の内部を描く小説が主流となっていました。英文学のテーマは、人と人との関係を描く「空間」から、自我の内部を描く「時間」へとシフトします。漱石の小説、とりわけ、第二の三部作(「彼岸過迄」「行人」「こころ」)では、この自我の問題が主要なテーマとなっていますが、それは当時の英文学の潮流と軌を一にしています。所謂「修善寺の大患」の後、第二の三部作は書かれるわけですが、丁度その頃、漱石は長年書いてこなかった漢詩をしきりと書くようになります。
 漢詩の世界とは「草枕」にあるように「非人情の世界」、言い換えれば、自我を超越した世界です。つまり、漱石はこの時期、「自我の世界」と「自我を超越した世界」という二つの相容れない世界を描いていると言うことになります。
 ここには、自分の趣味・好みと社会の要請、日本の伝統的な文化と西洋の文化と言った二つの世界に引き裂かれた明治と言う時代に生きた知識人の葛藤を見ることが出来ます。
 そのような意味で、余り一般的には読まれることも評価されることもなかった漱石の漢詩にもう少し注目してみる必要があるのではないかと思います。漱石の漢詩に関しては、吉川 幸次郎 の「漱石詩注」(岩波文庫)が有名でH氏も読んでいますが、今回この問題をもう一度じっくり考えたいと思い、この本を購入した次第です。

2009年3月4日水曜日

グレン・グールドの弾くブラームス


Pippi さん、コメント有り難うございました。不肖 H もブラームスが好きなので、グールドの弾くブラームスもよく聴きます。グールドなどを聴いていると、H もピアノが弾けたらいいのになー!などと思うのですが、ヴァイオリンだけでも手一杯でとてもピアノにまでは手が出せません。このブログで先日書いたクラシック同好会の部長さんはピアノをお弾きになります。バッハのパルティータなどを演奏なさるのを拝聴すると本当に羨ましくてなりません。H もヴァイオリンで対抗致しますぞ!ふんふん(鼻息)。
 このように地味で詰まらぬブログですが、よろしかったらまたお越し下さい。写真を入れようと思ったのでコメントではなく、ここに書きました。

グレン・グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」

H氏がクラシック音楽をよく聴くようになったきっかけはグレン・グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」(1981年版・写真上)でした。この曲を聴いてからすっかりグールド・ファンになり、クラシック音楽にのめり込んで行くことになります。未だにバッハが一番好きなのも、この最初の出会いもせいなのかも知れません。

 そういう出会いって結構大切なのだと思います。私は小さい頃から本を読むのが好きでしたが、小学生の4,5年の頃夏目漱石が好きになって、漱石の作品を次から次へと読むようになり、そのうち漱石全集を買ったりしたのが、文学の世界にのめり込むきっかけになっているような気がします。

 そう言う訳でグールドの「ゴールドベルグ変奏曲」はH氏にとっては取り分け大切な曲なのです。後に聴いた55年版(写真下)もいいし、他にも色々なピアニストの演奏を聴きましたが、上述したような経緯もあるせいか、H氏はグールドの81年版ゴールドベルグ変奏曲が、深みがあり一番好きです。皆さんにもそんな曲があるのではないでしょうか?

2009年3月3日火曜日

エルマンノ・オルミ:木靴の樹


お雛様おめでとうございます。(?)今日は1月23日エントリーの「H氏の好きな映画」でも、最も好きな映画の一つとして挙げたエルマンノ・オルミ監督の「木靴の樹」のことをちょっとお話ししましょう。この作品は1978年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドール賞を受賞しました。
 この映画はドラマティックな粉飾を一切排し、19世紀末、北イタリア、ベルガモの極貧の小作農の生活を3時間にわたり淡々と綴った映画です。
 バティスティー一家は他の数家族と一緒に小作人として働いています。息子ミネクは頭がよく、教区の司祭に小学校に通わせるように奨められ、無理をして通わせることにしますが、ある日ミネクの木靴が割れてしまいます。父親は川縁に生えるポプラの樹を切って、息子に木靴を作ってやります。しかし、樹が切られていることを知った地主は犯人を捜索し、やがてバティスティー一家は樹を切った廉で追放されます。これがこの映画のメイン・ストーリーを成します。
 しかし、この映画、ストーリーは余り問題ではありません。夫を失い、近所の人たちの洗濯を請け負い、川で朝から晩まで洗濯をし続ける女性と家計を助けるため粉碾きの職を求める息子。同じ紡績工場で働く男と結婚し、叔母が修道院長を勤める修道院から孤児を貰って来る女性。極貧の中で必死に生きる小作農の生活があくまでも淡々と展開して行きます。
 この映画は、贅沢三昧の暮らしを送る地主と極貧の小作農とを対比することによって、痛烈な社会批判になっていると言うのも事実です。しかし、それだけでこの映画を括ることは出来ません。四季の移ろいの中で繰り広げられる貧しい小作農の生活そのものが見るものの心に何かを訴えかけてきます。
 H氏は文学も前衛的・実験的な作品を好みますが、映画の趣味に関してもそのような傾向があります。この映画にはそのような所はありませんが、映像によって農民たちの生活を淡々と描写する表現は映画独自のものであり、その意味でこの作品は極めて優れていると言えるのではないでしょうか。是非ごらんになってください。

2009年3月2日月曜日

カラヤン・ベルリンフィル:ブラームス交響曲

カラヤン・ベルリンフィルのブラームス交響曲集を購入いたしました。今度行くコンサートでブラームスの二番が演奏されるのですが、何故か手元にいいのがなかったので買いました。ブラームスの交響曲は低音から積み上げられた厚みのあるストリングスの和音が好きでよく聴くのですが、二番だけは余り聴いていなかったので、コンサートの予習のためこれから毎日聴くつもりです。カラヤンは余り好きではないのですが、この機会にじっくり聴いてみようと思います。
 三番はジョージ・セルとクリーブランド、四番はベームとウィーンフィルの演奏が好きです。このアルバムはブラームス交響曲全4曲2枚で2000円少々とお買い得になっています。