2010年10月12日火曜日

ノーベル賞とパガニーニ「24のカプリース」

日の昼食は「ウィンナードッグ」「バターケーキクロワサン」でした。

デザートは葡萄です。少ししか残っていなかったので、これだけ。先ほど会議から戻り、おやつにはアイスクリームを戴きました。

 最近、また日本人がノーベル賞を受賞したことが話題になりました。確かに結構なことなのだとは思いますが、何か違和感を感じて仕舞います。
 これまで、見向きもされたかった研究者がノーベル賞と言う権威ある賞を取ったことによって一躍大騒ぎされる。しかも、日本の誇りと言った言い方をされたりもします。
 日本は、取り分け基礎物理学のような直ちに経済的効果をもたらさないような研究分野に関しては、極めて研究を続けて行くことが困難な国です。私の知り合いにも、基礎物理学の分野で博士号をとりながら、予備校で講師をしながら生計を立て、やがて日本では研究を続ける目処がたたず、ドイツの研究所に就職した方もいらっしゃいます。優れた、研究者でありながら、日本で研究を続けることが出来ず海外に出て行かれる方が沢山いるのです。嘗てノーベル賞を受賞した方にも海外の大学で研究をされている方が何人もいらっしゃたことはご記憶にあると思います。そのような研究者の多くは決して海外で研究したいからそうしているのではなく、日本に研究を続けられる環境がないためにそうしているのです。それなのに、日本の誇りとか言うのはちょっと変じゃありませんか?
 ジャン=ポール・サルトルはノーベル賞の受賞を拒否致しました。彼は、反権威主義者ですから、自分の信念を貫いた結果なのだと思います。シモーヌ・ドゥ・ボーボワールとは生涯パートナーとして生活しましたが、結婚は致しませんでした。2人にとって、お互いの関係はあくまで個と個の関係であり、国家によって定められた結婚という制度による結びつきではないと考えていたのだと思います。
 ここで、また些細な蘊蓄を一つ。ボーボーワールは幼い頃から極めて優秀で、学校では常に1番でしたが、大学に入ると何故か何時も2番なのです。一体誰が1番なのか知らんなどと思っていると、それは・・・。もちろん、1番はサルトルだったのです。何だかすごいお話しでしょう?
 文学者が受賞を拒否するのはさして困難なことではありません。文学者は厖大な研究資金も実験器具も必要としないからです。一方、科学者の場合、ノーベル賞を受賞することには大きな意味があるのかも知れません。現役の研究者であれば、受賞することによって研究環境は間違いなく改善されますし、また、既に現役を退いた方であれば、後進の研究者に少しでもよい研究環境を与えるために、受賞が役に立つと考えるのではないかと思います。
 ですから、科学者の方が受賞することに異議はございません。でも、矢張り権威主義は嫌いです。権威によって与えられた価値のみを鵜呑みにして騒ぎ立てるのにはどうしても違和感を感じてしまいます。賞があること自体は決して悪いことだとは思いません。優れた業績を認め、報いるのはいいことだと思います。でも、受賞は静かに受け入れればいい。そして、出来るならその価値を自分で判断したいものだと思います。
 例えば、辻井伸行さんが、ヴァン・クライバーンで優勝した際の騒ぎにも私は違和感を覚えました。コンクールで優勝したからでもなく、また、辻井さんが目が不自由だからでもなく、その演奏そのものが評価されるべきではないのでしょうか?

 本日のお昼の音楽は五嶋みどりさんのパガニーニ「24のカプリース」に致しました。

本日は、ヒラリー・ハーンの演奏で24番を貼っておきます。


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