本日は冷たい雨が降っておりますので何時ものショッピングモールに行く気がしませんでした。デザート代わりに先日が学生から頂いたアフタヌーン・ティーの「チョコレート」を戴いております。
昨日は必要があってジョージ=バーナード・ショーの戯曲 Pygmalion (「ピグマリオン」)を読み返しました。1913年初演です。この戯曲そのものより、これをもとに作られた映画「マイ・フェア・レイディー」の方が多分有名だと思います。
オードリ・ヘップバーンがロンドン下層階級の花売り娘イライザを演じ、ロンドン下町訛りのコクニー(cockney)を見事に話していましたね。
「ピグマリオン」と言うタイトルはギリシャ神話からとっています。ピグマリオンは現実の女性に幻滅し理想の女性を彫刻で彫って「ガラテア」と名付けます。彼はこの像に恋をしますが、やがてアフロディーテがこの像に命を与え、ピグマリオンはこの女性と結婚すると言うお話しです。屡々絵画の題材としても取り上げられています。
このジロデ・トリオソンの「ピグマリオンとガラテア」が最も有名な絵かも知れません。その他、ジャン=レオン・ジェロームの連作もよく知られていますね。
さて、物語はヒギンズと言う言語学者が、酷い下町訛りで身なりも貧しいイライザと言う娘を上流階級のレイディーに仕立て上げることが出来るかどうか、友人と賭をします。結局は上手く行くのですが、イライザは彼のもとを去ります。
原作と映画とでは大分ニュアンスが違います。当時の英国は階級社会でしたけれど、話す言葉によってそれがはっきりと分かるようになっていました。原作で、イライザは別に上流階級に憧れていたわけでもなく、道ばたで花を売るのではなく、花屋さんで花を売れるようになるため、ヒギンズの授業を受けるようになります。
バーナード・ショーはアイルランド人です。アイルランドは英国の植民地であり、英語が公用語として使われ、徐々に元々話されていたアイルランド語は廃れて行きます。特に19世紀半ばのジャガイモ飢饉の後はすっかり英語に取って代わられます。ヒギンズが行おうとしていたことは、植民国、そしてその言葉を下等なものとみなし、文化や言語を押しつけようとする植民地主義のディスコースそのものだと言えるでしょう。もちろん、社会主義者であったショーのことですから、階級制度に対する批判もあったのだと思います。映画ではそのような植民地主義や階級制度に対する批判は薄められ、一人の女性の成長物語のような味付けにされ、原作本来の意図は殆ど失われています。
本日のお昼の音楽はベートヴェンの後期ピアノソナタです。
ゼルキンで聴いております。本日はエレーヌ・グリモーの演奏で第31番を貼っておきます。
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